綿帽子の手帖、まだ稼働しております。
前回の別館記事が1か月前。
そしてそして、こちら本館(?)の記事が8月以来の3ヵ月半前っていう●爆
恐ろしいです、、、もちろん自分が●
もう日記ではなく月記、、、いや年記くらいの勢いですわ。
今年の7月にSTLツアーが終わった際にも感想文を書いた記憶があります。
あ、ワタクシ強欲のため念のため貼り付けておきますね。
今読み返して震えております。
夏のツアーが終了し、来たる秋のアリツアに向けての意気込み。
結局意気込みだけで何もしなかったワタス…(預言者と呼んでおくれ●)
マキ沼の同志たちよ!!(突然どうした●)
灰になってる場合じゃねーぞぉぉぉぉぉぉぉ!!(お前が言うな案件●)
そうです、時は11月22日!!いい夫婦の日ですね?
ワタクシの愛してやまない(たぶん●)
槇原敬之氏が歌手生活35周年を迎えたのが
2025年10月25日、、、おめでとうございます(涙)
そしてそして、この35周年イヤーに際して、水面下で活力されてきた成果が無事に花開いたわけです。
もうね、3ヵ月半ぶりのブログは何から書いていいか分からんのよね。
ひいてはこの1年間のマキハラ先生のご活躍も振り返りたい一心でございます。
マジでおめぇどの口が言ってんだオブザイヤー大賞を何年か連続で獲得できそうな勢いです。
もう殿堂入りしちゃうんじゃないのか?爆
ただ、この1年を振り返っていると大変なことになりますので、
今回の記事は
Makihara Noriyuki 35th Anniversary Consert 2025
"TREASUarenaTOUR"
2025年10月25日/26日 大阪城ホール
2025年11月 8日/9日 横浜Kアリーナ
上記4日間で行われたアリーナツアーを中心に感想文を書きたいと思います。
前置きが長いで有名なこのブログですが、もう一つ注意点がございます(ウザいな?●)
何をどう間違ってか、本日このブログへ初めてお越しのマニア様(きっとマキハラマニアしかいないよね)
本日は11月22日でございます。
アリツア終了してから早2週間が経とうとしております。。。
たくさんのメディアやSNS等では正規のネタバレが溢れております。
そうです、いわば純正な感想文がたくさんあるはずです。
まずはそちらを読んでいただきまして、味変したい場合のみこちらの記事を読み進めていただければ。
決して、一番最初に読んではいけませんぞ!!(注意喚起●)
まぁ、2週間も経過しているためこちらの記事を見つけた人々はもう純正な正規ネタバレを読みつくした後かもしれませんね。
こんなおかしなマニアもいるんだな、という生温かい目で読んでいただければ嬉しいです(以後もよろしくです)アツカマシイ●
そして、こちらのブログをいつも読んでくださっているマニア様。
本当に本当にありがとうございます(涙)
今回もクセ強記事になるかと思いますが、生温かい目で読んでいただけたら嬉しゅうございます。
そして…そろっと目を覚ました方がいいと思います(突然の悪態●)
ということで、純粋にマキハラ先生のアリーナツアーの記事をお探しの方は回れ右が得策ですヨ。
・・・。
はい!!いつもの保険勧誘でございました。
これ一応書いておかないとね、クレームがくるやもしれんからな●
今も隣で夫とおぼしき人物が「そんなものは誰も読まぬ!」と言い放ちました。
確か今日はいい夫婦の日だった気がするのですが?気のせいでしたかね?串刺しだな…(怖)
ということで、前置きはここまでで、本編に入ります。
1990年10月25日に日本の音楽業界に爆誕した我が最推し「槇原敬之氏」
途中、なんやかんや(●)とありまして厳密な数え方はどうなっとんの?って一瞬よぎりますが、
一瞬なので気にしないことにして進めたいと思います●ニコニコ
今年2025年で歌手生活35周年!! おめでたいっ(涙)
マキハラ先生誠におめでとうございます。
自ら30周年の年は飛ばしちゃった発言もありましたが、どのみちコロナ禍だったということもあったでしょうが、
それでも本人不在の中での30周年を、マニアはそれぞれの想いでお祝いしたわけです。。。
ちなみに、私も奇跡的に記事upしておりました(貼り逃げしておきます●)
そこから5年の時を経ての35周年という周年yearに突入。。。
コロナ禍を経て、世界も世間の常識、さらには人々の価値観も変化した5年でした。
後々書こうと思いますが、そんな中でのこの35周年のツアーに関して水面下で色々と
準備してくれていたたくさんの人々の存在、そして当のマキハラ先生本人、、、
どんな思いでその日を迎えられたのかと思うと、、、
もう、、、涙しか出んのよ(嗚咽)
アリツア終了して2週間、、、
もう2週間なのか、まだ2週間ナノカ、私はこの想いをどうやって表現したらいいのか未だ分からないのです。
なのでこの2週間は何も書けないな、と思いずっとこの想いと向き合っていたんです。
なので、たぶん忘れてしまっていることも多々あるかと思います、その場合はふわふわした情報ですので
他マニアの皆様の正規の純正な感想文へ飛んでいただければ…
そして、マジで何から書いていいか分からん。
だいぶ支離滅裂になってしまうかもしれませんが、書くことで想いが整理されることもあるかもしれませんしね。
本日の裏テーマとしては「無事に感想文を書きあげる」ことを目標に踏ん張ろうと思います。
そして大切な本テーマです。
①槇原敬之の様々な趣向を凝らした全体的な演出について
②瀕死確実な文句なしの槇原敬之35周年を祝うセットリスト
③35周年を真剣に考えてみる
④35周年の槇原敬之氏についての色々なご報告です
え?めっちゃ真面目じゃね?って思ったそこのおねいさん!笑
そうなんですよ、別に普段からふざけて書いてはいないのですが、今回は真面目一本で行きますよ。
ちなみに、今回のアリーナツアーは2カ所4公演。
私は10月25日大阪、11月の横浜2DAYSに参戦いたしました。
大坂ではスタンドA席ほぼ後方。
横浜1日目はアリーナSS席でしたが、SS席の最後尾という何とも複雑な想いの席運(ゼイタクな悩み)
横浜2日目はアリーナSS席11列目という場所でマキハラ先生の35周年をお祝いしてきました。
感想文は、3日間の出来事丸ごとまとめて書くつもりなので、
時系列や場所など誤った情報もあるかもしれませんがご了承ください(正規ネタバレへ…しつこい●)
【槇原敬之の様々な趣向を凝らした全体的な演出について】
まずは何といってもセトリなんですが、、、
そのセトリの前に書いておかねばならぬことがあります。
①ステージ横の巨大スクリーン(モニター)について
今回、会場内に入って一番に興奮した案件です。
特に初日の大阪では、私はスタンド席のほぼ後方部。
まぁ、もちろんオペラグラス(双眼鏡10倍)は持参必須でしたが、
席についてまずは焦点合わせるためにステージを確認しますよね?
私は見つけてしまいましたよ、、、思わず
「え!?今回モニターあるじゃん!!(喜)」
と、叫んでしまいお隣の方が大変ビックリされておりました。苦笑
だってさ、これまでなかったよね?
私がマキハラ先生のライブデビューしたのが2002年ですので、
そこからのライブに関しては無かったと記憶しております。
あのセレブレーションでさえ無かったと思うけど私の記憶違いカナ?
なので、1990年代のライブではどうだったのか?というのは分からないのですが…
1999年の幻のツアーでは横アリとかも予定に入っていたけど、、、
もしモニター出すのであれば全ての会場で実施しないと不公平感が出てしまうので、
小さい会場から大きな会場までを回る通常ツアーではやはり無かったのかもしれませんね。
ちなみに、今回は2カ所ともに万単位の観客を集客できるキャパだったこともあり
2カ所ともに巨大スクリーンがあったことは本当に本当に嬉しかったのです。
大阪城ホールのスタンド席だからだいぶ遠い推しが確認できるか心配ではあったのですが、それは杞憂でした。
まずそこで泣いたよね、、、
今回のライブは、本編始まる前から泣き所がたくさんあって情緒が大変だったんですよね(涙)
②開演前の『トレジャリーナレディオ』について
初日大阪で会場に入ると、、、
「あれ?これマッキーの声じゃね???」って、マキハラ先生の声が会場中に響いているんです。
全集中して聴いていると「ん?なんやらラジオとか言うとるな?」って感じで。
このトレジャリーナレディオなんですが正味40分弱でしたよね?
だいたいどこの会場も開演30分前くらいから始まっていたように思います(違うか?)
それで、だいたい開演時間の定刻になってもマキハラ先生の声が聴こえている状態。
初日大阪では開演18:00でしたが、その時点ではだいたい皆さん席について静かにマキハラ先生の声に耳を澄ます。
このトレジャリナーレディオのセットリストについては、本日は割愛しますが…(え?●)
大丈夫です、きっと誰かがどこかに載せてくれております(他人任せ●)
それぞれマキハラ先生が幼少期に衝撃を受けた曲、曲を作るうえで大切にしている曲など、、、
槇原敬之のルーツとそれに彩られた曲たちが流れておりました。
ちなみに、このレディオの曲はご自分の曲ではなかったです。
この試みも初めてだったなぁ、って感じますし。
一番の目的としては観客を早めに着席させるというものがあるんでしょうけど、
やはり一番の理由は
35周年という重み
を、マキハラ先生やその他スタッフの方々もしっかり理解されていてのこと。
今あるマキハラ先生がこれまで積み重ねてきたもの、でもそんな槇原敬之にもしっかりとした
自身のルーツとなる曲がそれぞれにあるということ。
35周年の重みということもありますが、56年の槇原敬之の歴史も感じることができてね…
その想いにも泣けたのよね(今回泣いてばかりです)
どこの会場も開演の定刻より10分遅れくらいだったと思うのですが、、、
このレディオの最後の曲に入る前の時点ですでにどの会場も定刻を過ぎていたと思います。
だいたいの人が着席して、もうすぐ始まるぞの想いが膨らんでいた状態でのマキハラ先生の言葉
これからライブが始まるということ
35年の宝箱をみんなで開けていくような感覚
どうか皆さんも楽しんでください、、、のような旨のMC(ほぼ意訳)が入りまして…
トレジャリーナレディオ最後の曲が
映画「ニューシネマパラダイス」より
【Cinema Paradiso】
号泣、、、
初日大阪にて、このレディオを後半からずっと聴いていて…
徐々に会場内の席も埋まってきて、いよいよライブが始まるんだなという会場全体の想いが充満して。
そんな中での、ニューシネマパラダイスかよーーーーーーーっ!!
かつての槇原敬之氏のライブの開演前/閉演後には必ずこの曲が流れておりましたよね?
いつ頃からだっただろうか、いつの間にか流れなくなってきて。
往年のマニア様であればこの曲は刺さりに刺さりまくるはず。刺さりすぎて致命傷の方いませんでしたかね?
私、開演前からタオルを首にかける人なんですけど、
この時ほど役に立ったありがとう、と感じたことはないのであります。
この曲流れ出してから号泣、、、いや嗚咽だな、必至でタオルで声を抑えながら泣きました。
そこで思ったよね、、、
このライブはやべぇぞ???
私、大丈夫かな?ってさ。涙
そして思い出しては今も書きながら泣いとるやべぇヲタクだわ。爆
過去の記事にもこのニューシネマパラダイスのことは書いた記憶があるんですが探し出せなかった無念●
マキハラ先生が大好きな映画「ニューシネマパラダイス」
ラスト、主人公のトトが映画監督になってアルフレードの訃報に際し故郷に帰る。
アルフレードがトトに残した形見であるフィルムの断片。
それを持ち帰って自分で映写させるシーン、
幼いころ決して見せてもらえなかった名作映画のラブシーンが詰まっていた。
それを見ながら大人になってトトは涙を流しながら、、、そしてこの曲が流れるんよ。
幼き頃にマキハラ先生が好きな映画だから、ということで何気なく観たイタリアの映画。
もう何回観てもさ、この映画のラストシーンが美しくてステキ過ぎて…今では大好きな映画の1つです。
その曲が、ずっと槇原敬之のライブでは流れていたんですよね。
特に終演後はこの曲が流れ始めると、、、
あぁ、、、終わってしまった
って、どっとさみしくなる気持ち、マニアの皆様も分かりますよね?(涙)
そんな曲がトレジャリーナレディオのラストの曲で流れたもんだから大変ですよ。
たぶん、8割くらいのマニア様ここで涙枯れはてていたのでは?と容易に想像できる。
③初の試み腕の光るやつ
正式名称は「FreFlow」(フリフラ)らしい。。。
会場に入ると、座席のところにかけてあって、あれ気付かない人もきっといたのでは?
たぶん会場の入り口に案内みたいな張り紙を横浜では見たんですよね。
大坂ではそれに気付かずに入場して、「あれ?席に何かあるぞ」ってな感じで、
両隣の人たちとちょっとザワつきました。
他界隈ではよくお見掛けする
ライブ会場で観客のライトを運営側が一斉に制御する演出のこと。
始まる前までは、半信半疑で。
こ、これはウワサには聞いていたが制御されるやつか!!(制御されたいっ!!HENTAI…)
そんなん初めてだからワクワクしながら腕に巻きましたよね。
もしこれが本当に制御ライトだった場合、めちゃくちゃ会場キレイなんじゃないの?って期待も込めながら…
【瀕死必至な文句なしの槇原敬之35周年を祝うセットリスト】
さて、ここでやっとセットリストでございます。
箇条書きで羅列していきます、そして過去に解説済の曲はコソッとリンクしておきます(強欲●)
~オープニング~
Theme of TREASUarena TOUR
M3 ズル休み
M5 COWBOY
~TREASUarena メドレー~
M17 Are You OK?
M20 ムゲンノカナタヘ ~To infinity and beyond~
E2 世界に一つだけの花
この世界に君臨する槇原敬之、、、まさにこれを具現化したセットリスト
神々しい、、、
もう神々しすぎて
このセットリストを直視できない。
全29曲、、、
マキハラ先生、56歳ですよ?
途中トイレタイムという長めのMCありますがマキハラ先生はずっとステージ上に。
アンコールで5分弱程、舞台袖にはけますが、すぐに戻ります。
29曲も… うぅっ(涙)
ありがとうございますありがとうございますありがとうございます
この曲数だけでも槇原敬之の想いが伝わる渾身の29曲。。。
これ1曲ずつ書いていったらたぶん1冊の本が出来上がりそうなので、やめときます。
なので、たんぽぽ毛的視点で振り返ろうと思います。
①祝いのファンファーレから始まる35年間の宝箱のオープン
トレジャリーナレディオが終わり、舞台にメンバーが次々に集まってきます。
そこからトランペットの独奏、具志堅 創 さん。
巨大スクリーンに映し出され、まるで英雄のファンファーレのように勇ましい音でした。
後のMC内で本人様談として「プレッシャーに押しつぶされそうだった」と話されておりました。
そうだよね!!
私の想像をはるかに超えるプレッシャーの中での大役を務めてくださっておりました。
まさしくこれから始まるよ~!!の35周年を彩る”祝いのファンファーレ”、、、鳥肌ですよね。
そしてそこからいつものようにたくさんの音が重なっていき、、、最後に中央から我らの推しの登場。
※ところで話は少し逸れますが…
最終日11月9日のライブ終演後、ワタクシたんぽぽ毛、
マキ友のアベルマイル様、くるくるノービィ様と3人で大感想大会を開催しております。
終演後3時間くらいの熱量下がらぬ想いを語っております(ちなみに2時間ね、うん狂ってるわ●)
もしよければ、アプリをインストールしなくともプラウザから聴けますのでどうぞ(再度言いますが2時間です●)
なぜ突然こちらをぶっこんだかと言いますと。
今回のブログ記事の内容に関しては、こちらのマキ友様2人のお話から拝借しているものも多いのです。
ワタクシは基本的にライブに関しては「槇原敬之を観察」(若干の語弊アリ●)することが目的でして。
詳細な演出や細かい動きなどまでに気が回っていないことが多々あるのです(大問題では?爆)
そのため、答え合わせのようにマキ友様から様から意見を聞くことで、想いが昇華されるのです。
まぁ、カッコいい書き方してますけど、
要は「私は気付かなかったけどマキ友様はこんな風に考えていたので聞いてね」です。
なので、ぜひともこちらのラジオ風味の音声配信も、
どうか時間と心に余裕のある方は聴いていただけると大変嬉しゅうございます(ただし2時間あるからな●)
むやみやたらに過去記事や他リンクをする執筆者たんぽぽ毛●(ウザいだけという噂も●)
はい、話を戻します。
それで、中央からなんや白い煙(ドライアイスかい?)のモヤに包まれながら槇原敬之氏登場、、、
その時の情景をマキ友くるくるノービィ様(以後ノービィ様)が
宝箱がぱぁ~って開いて飛び出してきたみたい
と、表現されていたのです。
いやまさに!!ホントその通りだわと目からウロコでした。
35年分の想いの詰まった宝箱から我々の一番の宝物である槇原敬之が出てきてくれた。
まさにこの表現が的確!!と思いましたので、まるで自分の手柄かのように書きました。爆
ライブでの、一番初めに推しが登場するシーンほど尊いものはないよなぁ。
もうさ、何て言ったらいいのかしらね、神降臨よな、本当にさぁ…
②1曲目「僕が一番欲しかったもの」の意味について考える
改めて書きたいのですが、
このブログはマキハラマニアであるその辺にいる普通の主婦(腐)が
思いの丈を全世界に発信している、というよく考えたら大変気持ち悪いものなのですが。
なので、本日の記事は「ライブレポ」でもなければ「槇原敬之評論」でもないのです。
え?では何だって???
オタクの心の叫びをただただ連ねている
というだけのHENTAIブログなんですわ。
なので、本気でライブレポをご希望の方がいらしたら、このへんで読むのを中断した方がよろしいぞ?(最終通告●)
私はアリツア終了してから約2週間、、、
このライブでの1曲目で歌われた「僕が一番欲しかったもの」のことをずっと考えているのです。
毎回ライブの際は、1曲目予想なんて盛り上がっているマニア様もいらっしゃるかと思います。
ただ、、、今回のこの1曲目については誰か予想的中した人はいるのかね?私はいないと思っている。
そして「僕が一番欲しかったもの」についてはライブのどこかで歌われるだろう、とは予想しておりました。
でもまさか1曲目でこの曲がくるなんて誰が思ったよ???
ちなみに、このTREASUarenaの選曲は、毛利大明神様、、、そしてバンマスのトオミさん。
この二人が中心になり、時には殴り合いのケンカ(笑)もしながら決定したようです。
そして、注目すべき発言としては、
槇原敬之氏の35周年イヤーに際して、
マキハラボ
ShowcaseThe LIVE!
TREASUarena TOUR
この3本のツアーが計画されていた。
この度の「TREASUarena」のセットリストを先に考えてから、
残りの二つのツアーのセットリストを組んだ、ということだそうです。
つまりは、TREASUarenaのセットリストありきでのこれまでの選曲だった、というわけですよね。
それもムネアツなんだよなぁ(涙)
ちなみに、マキハラボも振り返ってみますか?(いいですか?でも一応貼っておきますよ●)
この35周年イヤーという1年の中で、期間は違えど3本ものツアーをこなした槇原敬之氏、、、
後ほど語る予定ですが、、、もうさ、、、何も言うまい(涙)
この3本のツアーに関しての選曲をそれぞれ分析などしてみると面白いのかもしれませんね。
そうなんです、話を戻しますよ。
そのような経緯で選曲された神曲たち、、、その1曲目が「僕が一番欲しかったもの」
ワタクシの槇原敬之不動のBEST5に君臨し続けている神曲であります(それは聞いちゃいねぇ●)
今回、初日の大阪で不思議な体験をしたのです。
この1曲目「僕が一番欲しかったもの」のイントロが流れてきました。
私は大好きすぎる曲なのですぐに「僕が一番ほしかったもの」だと分かりました。
でも、私だけではなくそういう方が多かったのではないかな?とも思うのです。
頭では「僕が一番欲しかったもの」だということは理解しているんです。
でも心は全然ついていけていなくて、
ずっとイントロが流れている最中も
「あれ?この曲は僕が一番欲しかったものだよな?え?でも違うよね?え?何なの?」
って感じで、頭と心の理解が合致しなくて、もうどうしようもなく頭が混乱していたんですね。
まさか1曲目からこの曲を歌うはずがない!という想いと、
でも「え?1曲目からこの曲を選んでくれたのか?」の感動が、ごちゃごちゃして…
マキハラ先生が歌い出してからしばらくは
この曲はなんだっけ???
っていう「僕が一番欲しかったもの」だって分かっているはずなのに、脳がそれを拒否していたというか。
拒否という言葉は語弊がありましたね、すごく好きな曲で歌詞も完璧なはずなのに、
私はマキハラ先生が1コーラスAメロを歌っているあたりまで、全くこの曲が分からなかったのですよ。
こんなおかしな現象が私の中で起こっていたわけですが、同じ人いません???爆
今思い出しても不思議な感覚。
人間は想像していた数百倍もの事を超えると、脳がバグを起こしてしまうのでしょうかね?
それが大阪1日目での私の不思議現象でした。
もうね「僕が一番欲しかったもの」ってさ、、、終盤曲なのよ。
そしてラストでは会場全体でC&Rしながら涙を流す神曲なのよ。
そんな偉大な神曲を、冒頭1発目から持ってくる槇原敬之(+毛利大明神トオミ)が強すぎるっ!!
もうそれしかないんよな。
C&Rを最初の1曲目からやっちゃうなんてどんなコンサートだよ?(いやあるかもしれんが)
そして、神曲「僕が一番欲しかったもの」の意味をひたすら考えています私は。
この2週間近くは、ずーっと考えていて考えすぎて拒否してしまうくらい(おい●)
まずはさ、今回のTREASUarenaに関しては、
槇原敬之から35周年の感謝の想いが溢れているわけですよ。
そして我々マニアも一丸となって槇原敬之をお祝いした気持ちで溢れていたわけですよね。
マキハラ先生は自身の想いを歌に乗せ、それを我々マニアが受け取る、、、
そのマキハラ先生の歌に込められた想いとは…なんですよ、くぅっ(涙)
『僕が一番欲しかったもの』に関しての、ワタクシの勝手な解釈なんですが…
自分が何かをしたことで自分以外の誰かが喜んでくれることが一番の幸せだったと気付いた僕
歌詞通りにいくとこの解釈になるんですが、
「幸せの価値とは…」を聴くたびに自分自身に投げかけている神曲。
自分以外の他人の幸せの価値観は決して物質的なものだけではなく目に見えない事象や想いなど様々…
形には残らなくても、心の中に確かにある温かな希望や想いは誰にも図るころはできない尊いもの。
聴くたびにこんな想いで涙する神曲「僕が一番欲しかったもの」
35年を歌い続けてくれたマキハラ先生から我々ファンに対する最大限の感謝の意味が込められた1曲目であるということ。
槇原敬之の優しさ、想いが最大限に詰まって、詰まりすぎている神曲。
自分の作った歌を受け取ってくれて幸せになってくれるファンの顔を思い浮かべながら歌うマキハラ先生よ。
尊い。。。
もうさ、この一言に尽きるんよな(嗚咽)
ホント言わずもがなだけどもね、人によってその「幸せの価値観」って異なるもんじゃないですか。
そんな個々人で異なる価値観があるこの世界でさ、
あの日あの時あの場所にいた約1万人余りの人たちの「幸せの価値観」はたぶん一致しているんですよね。
槇原敬之、、、
その人がただただ目の前で歌ってくれていることが本当に「幸せ」であると…
毎回ライブに参加すると感じることがあって。
「自分はこの人に生かされている」ということ。
当のマキハラ先生からすれば「重すぎるわっ」って思われるだろうし、そんなこと思う自分もキモいぜって思うけど。
でもそれは変わらない事実として存在していることであってウソでもなんでもない。
そしてそんなマニアは世界中にたくさんいるんだということよね。
誰が一番とか、我こそが!とかそういうことではなくて、
ファン一人一人の中に「槇原敬之」が存在していてその存在そのものが人生を照らしてくれるんよな。
槇原敬之氏の35周年をお祝いしたいと思い駆けつけたたくさんのファンの想いを
汲み取ってくれていたであろうと感じる1曲目「僕が一番欲しかったもの」、、、最高でした。泣きながらC&Rしたよね。
そしてこの1曲目で会場一斉に腕の光が点灯した時のあの光景。。。
私はもう一生忘れないと思う。
これまでも何度かマキハラ先生のライブに参加させてもらいまして
「この瞬間や情景は一生の宝物だ」なんて思うことも多かったですが…
もうね、初日大阪では特にスタンドほぼ後方だっただけに、会場全体が見渡せたんですよね。
あの一気に電飾が光る瞬間は鳥肌もの、会場中が沸き上がりましたよね、、、本当に素敵だった。
③90年代のイケイケな自分を振り返る前半戦
ちょっと待ってくれ。
マジでこんな調子で書いていたら終わらんぞ●爆
前後編に分けなければならんくなるな?(それは嫌だな?)
舞台の細かい演出などは、さきほどリンクした音声配信「綿帽子の手帖 聴くブログ」にて大いに語っております。
この35年を振り返るというコンセプトの元、
2曲目から9曲目までは90年代ソングが続きます(いきなり端折りすぎたな?爆)
M4「LOVE LETTER」です。
こちらは2010年に20周年記念として発売されましたBESTアルバム「BestLOVE」からの
恐らく、、、Renewedバージョンかと思われます。
というか、ここ近年のライブではこのバージョンが多いですよね?
ワタクシ個人的にはオリジナルバージョン至上主義の過激派な人間なもので…
このRenewedバージョンに関しては特にCメロの盛り上がり部分が「スン」となるアレンジがあまり好きではないのです。
ただ、それまでのズンズンとなるような明るめの今回はマーチングのようなアレンジは好みです(どっちやねん●)
それで、今回のCメロスン問題についてマキ友お二人に問題提起したところ、、、(詳細は音声配信をば…)
1996年の「LOVE LETTER」発売当時(アルバム「UNDERWEAR」)の僕、
そしてそこから大人になった僕とで、アレンジを変えているのではないか?という鬼考察が飛び出したのです。
発端はアベルマイル様(以後アベル様)で、その後ノービィ様が
「オリジナル当時の僕が大人になって少し俯瞰して捉えている」という様をアレンジに活かしたのでは?と。
それを聞いて私も目からウロコでした、RenewedバージョンのCメロスン問題が少し解決したような印象でした。
もちろん正解は分からないのですよね、もしかしたら見当はずれなのかもしれないし、、、
でもそういう風に、何事にも意味があってのアレンジだったり、ライブの流れを考慮してのことだったりと…
私一人では絶対感じることができないような思いを、話をすることで全く180異なる解釈にもなるんだなぁ、と
改めて感じた出来事でした。
そして「LOVE LETTER」に関しては2コーラスBメロの「ヘルメットを取って~」からのマキハラ先生の手の動き。。。
ここはマニア瀕死レベルの手つきと表情なので、ばっちり円盤に残っていることを期待しておりますっ!!(圧)
そしてMCではこの頃「もう自分にはできないものはない」と思っていた自分がいたと話されるマキハラ先生。
そんな中で発売した全歌詞英語のアルバム「ver.1.0E LOVE LETTER FROM THE DIGITAL COWBOY」
全く売れんかったと嘆くマキハラ先生でしたが、
恐らくあの会場に来ていたファンは9割9分近く買っていますよ、と言いたい。笑
そこからのM5「COWBOY」です。
毎回ツアーの度に一定数声が上がると思うのです。
TTT2ndの「90年代縛りでいきます」と言っていたツアーでも「もしかしてデジタルカウボーイから選曲ありか?」
などと、期待していたマニアもいたかと思います(ワタクシもそのうちの一人でした)
なので、この選曲はとても嬉しかったのと、、、しーくれっとへぶんでも良かったんやで(垂涎)
ちなみに「COWBOY」は2003年の本日ハ晴天ナリツアーの際に歌われていたと記憶している。。。
しーくれっとへぶんは、、、ありますかね?どこかで、、、?TVでは歌ってたけども(垂涎)
今後も、英語詞の歌をずっとうたってくれさい、お願いします(切実)
そして90年代後半に差し掛かり。
7枚目のアルバム1996年10月に「UNDERWEAR」が発売になり、このアルバムを最後に引退しようと思っていたマキハラ先生。
割と有名な話で、聞くたび心臓えぐられてしまう。
そんな想いであのアルバム作ったんか?とかそこからのあの最高傑作なんか?とか…
色々と思うところがありますがそれはまたいずれ「このアルバムを聴いてくれ」の際に語ろうかと思います(え●)
そんな話の後の M7「PAIN」はヤバいのや。。。(涙)
またまた自分語りですが、「このPAIN」はワタクシの槇原敬之BEST3に君臨し続ける神曲です。
この曲嫌いな奴おらんやろ~、おったら出てこい私が三日三晩語ってやるから(軟禁デスカ)
実は歌手を辞めるつもりでこの曲を書いてたんか?と思うと正常な情緒ではとても聴けんのや。。。
今回、それぞれの曲に対する想いみたいなものまで書いていたら到底終わりませんので、ぜひとも曲解説にて(宣伝●)
ただ、この「PAIN」は言わせてくれ、、、
この神曲に救われてきたマニアは星の数ほどいると思われるのや
だからこそ、この35周年というお祝いの宴に選んでくれたこと、本当に本当にありがとうございます(一体誰目線なのか●)
「泣きそうな時のあの胸の微熱」このフレーズが超絶好きすぎて、どう例えたらいいか分からんくらい好き、好きだー
これまでのライブで、何度となく歌われてきた曲ですが今回が一番泣いたかもしれません。
最後の「ららら」のコーラスも最高、、、本当最高でした。ありがとうございました。
これぞ感想文、が続いておりますがM8「Cicada」です。。。
※個人的には1997年アルバム「Such a Lovely Place」問題があるのですが、それはいずれの記事で検証予定です●
こちらの曲はなんと2002年以来の登場だそうです。
そんなに歌われて無かったんか?ていうか、むしろ1度目の復帰後ライブで歌って、この20数年歌っていなかったことに驚き。
ともすれば、、、1999年の出来事があって、その後2002年の復活ライブツアー、、、
そこで歌ったけども、再度ご自分の中で歌えるようになった、、、ということなのか?
私個人的には、90年代後半の槇原敬之が好きすぎるのです、
「UNDERWEAR」→「Such a Lovely Place」→「Cicada」の流れ、そして復活の「太陽」へ。
私の中の槇原敬之を語る上では、もう最重要項目なのです。
ちょうど自分自身が子供から大人への変遷期だった、ということもあるのかもしれません。
1999年は20歳の年でもありました、全国の羊の民たちよ、そうだよなぁ?(涙)
余計に感じること、そして感じることをやめてしまいたい、と思う時期もありましたよね。
以前、「Cicada」を曲解説した際に
「槇原敬之は実は未来人で未来から戻ってきてこの曲を1999年に世に放ったのでは?」なんてメルヘンなことを書いた記憶が。
それくらい、その当時の状況を言い得ていて怖いくらいだったのですよね。
槇原敬之の35年という歌手歴史の中で、目を背けたいことや受け入れ難いような出来事もありましたよ。
それら全てを今受け入れられているわけではないですし(あくまで私は…)、
思い出しても心臓えぐられるような気持ちになることもあるんですよね、でも今があるという強みがあって。
それはまた槇原敬之がこうやって舞台に立ってくれていること、それだけで嬉しいことなんです。
決して過去の行いや過ちが全部無しになったとは思ってはいませんし、
あの時の想いを今もファンは胸に秘めながら応援している人が多いと思うんですよね。
でもさ、マイナスなことに向けるのではなくて、
それをある意味強みに変えることのできるのが我々マキハラマニアだと思っているのです(あくまで私は…)
色々な感情に揺さぶられた結果、今の自分自身があるとも思っているので、もう最強じゃね?って思う^^
④内省的な曲も増え幅の広がりを見せた2000年代な中盤戦
そして、1999年のあの出来事があり、、、
そこから2000年アルバム「太陽」にて復活。
それまでのようなLOVEソングだけではない、人生の指針になり得るような曲。
自分の曲は5分くらいあることが多いけど、
その自分の歌をその人の大事な時間の5分を使って聴いてもらえているんだ!ということに気付いたマキハラ先生。
徐々にLOVEソングからいわゆるLifeソングへ変化していった頃とのこと。
ただ、そうやって線を引くことよりも、LOVEの先に人生があったりその逆も然り…
これはこっちとか、こうだからそうでなければならないとかの固定観念みたいなものが
より外れた時期なのかなぁ、とも勝手に思ったりしてます。。。
そこからの「明けない夜が来ることはない」→「太陽」→「Anywhere」の流れは圧巻。
暗闇の中の演出のようなものから始まった「明けない夜が来ることはない」、、、
1コーラスはダークで暗めの照明に、ステージ上でマキハラ先生のみに白いライトが照らされていて。
そこから歌の主人公僕とリンクしていくように、光を取り戻す過程が本当に圧巻でした。
そしてM10「太陽」、、、
今回私はありがたいことにアリーナツアーに関して3公演参加させてもらいました。
もうね、毎回この場面では涙必至ですが(ていうかおめぇずっと泣いてねーか?)、
最終日横浜でのこの「太陽」は声を必死にタオルで抑えるのが大変なくらいだった。
前日に、音声配信にもゲストで来てくれたマキ友のノービィ様と深夜2時まで鳥貴族で語っていたんですよ。
色々な時代の話をさせてもらったけど、やはり1999年の話は避けては通れぬ。
私の中では2000年に発売されたアルバム「太陽」に関しては、もう別物だと思っている節があり…
ファン歴がどうとか、何歳の時に好きになったとか、、、普段はそんなものはどうでもいいとは思っています。
その上で言いたいので言わせてほしいのです。
1999年のあの出来事をリアルに乗り越えたファンもいれば、難しかったファンもいるはず。
そしてまだこの世に生を受けていない若いファンの方も最近は増えてきています。
もしくは、好きになった時期が1999年より後のファンの方も多いと思います。
あの1999年事変を乗り越えたファンはめっちゃ強いと思っています。
何が強いのかって、それは一言では言えないのですが(言えないんかい●)
アルバム「太陽」をどのように捉えるか、そしてあの想いをどうやって乗り越えたのか。
未だに受け入れられていないファンもいるかと思いますし、
私だって実は、受け入れているふりをしながらそうではないのかもしれない、、、不安定な自分もいたりする。
そしてマキハラ先生に関しては、それだけではなく2度目の出来事もあります。
本人は「色々ありまして…」と最近は自ら話してくれることが多いですが…
ちなみに2000年は歌手活動10周年の年でした、静かな復活、、、そして2020年は30周年。
何でか知りませんが周年の年になんやかんやと色々ある我々の推し。
今があるから言えることだって分かっているし、そのまま槇原敬之の光が消えてしまっていたら、、、
と、何百回と思うことがあった、、、その度に今のこの現実を受け止めながら前に進んできたファンも多いはずです。
先ほども書きましたが、その事実が無くなることは絶対に無いし、心の奥底では未だ許せないような気持ちもあるかもしれませんし。
このあたりは表現がとても難しくて、言葉の1つ1つで読む方の捉え方が異なるのも分かりますし。
いつもHENTAI事ばっかりなのに、今日はどうしたんですか?って思われてるかもしれませんしね。
でもさ、槇原敬之を語る上ではどうしても1999年の出来事は外せないのですよ。
自分自身もそれがあっての今の自分があると思っているファンの一人なので、考えることは多いのです。
もちろんそれはマキハラ先生自身にも言えることで、
色々あったと話されるその言葉の裏には幾重にも複雑な想いが積み重なっているかとも思えるのです。
きっとマッキーの気持ちはこうなんだ!と、我々ファンが決めつけるのはナンセンスでしかないのですが…
こういうライブの時には、マキハラ先生は歌を通して饒舌に我々ファンに想いを届けてくれますよね。
今回の神セトリ、、、その想いがヒシヒシと伝わってくる内容で、
開演前は「シングルが多いのかな?」なんて思っていたりもしましたが、いざふたを開けたらそうでもなかった。
それでもシングル曲は半分以上を占めているにもかかわらずのこの満足感なんですよね。
曲のセレクトや、この35年という時の流れがうまいことマッチしていて、全く違和感なし。
聴いている観客、その時期のことを考えるし、
きっとマキハラ先生も選曲した毛利さんも「こんな日々もあったよね、そして今があるよね」って想いなのだと…
ここで私が言いたいのは「1999年を乗り越えたファンだから偉いんだ」とかそういうことではないですからね。
言葉尻をとられてそのように解釈してしまう人々もいるかもしれませんが、そうではないのです。
こうだから偉いとか、決してそんなことを言っているのではなく「私たち、槇原敬之と乗り越えたよね」って
ある意味運命共同体みたいな気持ち(表現が難しいけど)
それだけこの35年という月日は長くて、、、そして重いのですよ
そこからのM12「フルサト」→M13「いつでも帰っておいで」の流れは深すぎて、、、
もうね、2週間近く経過しているからさ、
MCとか抜け抜けなんですよね、純正なレポがたくさんSNSには溢れているでしょうから、
私も後ほど確認しにいきたいと思います。
⑤マニア全てを笑顔にするメドレーコーナーそこには”幸”しかないのである
きました!メドレー!!
大好き!もっとやってほしい、ていうか50曲くらいぶっ通しでメドレーでもいい(鬼の所業●)
盛り上がりタイム!!
しかもメドレー結局8曲でしたからね…すごいな?タフだな?ありがとうございますありがとうございます!!
M15「どうしようもない僕に天使が降りてきた」
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━っ!!
毛利さんありがとう!絶対あると思ってたーーーー!!
もうねこのメドレー8曲についてはほぼ覚えておらぬ、興奮MAXすぎてねじ飛んでた気がします。
私、結構などすこい体型なんですけどもね、恥をしのんで踊りまくりました。苦笑
腕の光るやつ、これも良い効果を発揮していましたよね。
曲ごとで色や光る範囲も変化するので本当にそれらを見ているだけでも楽しめましたしね。
そしてそんなメドレーの中でもM19「軒下のモンスター」というキー曲を入れてくるあたり。
思わず次の曲次の曲が流れるたびに「ひぃぃぃぃぃえぇぇぇぇぇぇっぇぇ」って叫んでおりました(迷惑行為●)
えぇ、まるで断末魔の叫びのような…爆
え?私だけではなかったですよね?きっとあの場所にいた皆様がそうだったのでは?と容易に想像できる。
⑥生きていく意味を見出すことのできる神曲たちを引き連れた強すぎる後半戦
メドレーでほぼ瀕死の状態の中、神マキハラはまだまだ攻め込んできますからね。
メドレー終わりのこのラストまでの4曲は、、、もうさ、選曲神すぎるんや。涙
マキハラ先生が大切にしていること、
そして昔から生み出される歌の世界観の根底のところは変わっていないと感じる4曲。
M22「Firefly~僕は生きていく」
この曲の時は、曲タイトルが蛍ということもあってか、会場の電飾はまばらに光っていましたね。
3公演参加しましたが私は蛍の光に選ばれなかったのですが、きっとそれにも意味があるんだと思いながら。
優劣をつけることや、人と比べることがどれだけくだらなくて意味のないことなのかを
いつもマキハラ先生は歌を通して教えてくれていますよね。
暗闇の中にいる主人公僕が最後には希望を見出していく歌詞、その一筋の希望を「蛍の淡い光」に例えて。
どんなに小さい光でも暗闇にいる僕にはそれは十分な光で、
その光を一つの「希望」と捉えることのできる槇原敬之が超絶好きなのであります。
誰かに寄り添うことのできるそんな辛い経験を過去にもしたことのある僕、だからこそ押しつけではなく
自然な形で自分自身も誰かを救うことのできる光になれるのかもしれない、、、という。
この歌を語り出したら終わらないので止めますが(苦笑)、そのような流れの歌詞が光の演出で存分にされていて感動。
そこからのM23「四つ葉のクローバー」、、、あぁ(涙)
今回この曲、、、本当に本当にその通りだなと思えることがありすぎて。
マキハラ先生が伝え続けている「目に見えるものだけが全てではないこと」「形のないものだけどその想いが大切」を
この後の項目で話したいと思いますよ。
そしてM24「どんなときも。」→M25「宜候」の流れ。。。神過ぎる。
もしかして「どんなときも。」が本編ラストかな?とも思ったのですよね。
そこからの「宜候」の流れでは全身のありとあらゆる毛が逆立ち(表現な●)、震えた記憶があります。
曲解説の際に熱く語った記憶がありますが、私の中では「太陽」と「宜候」には密接な繋がりを感じざるを得ないのです。
どちらも色々あった出来事(ディープインパクト●)後の復帰アルバムの表題曲。
「太陽」ではまだ不安というか最初は雲がかかって徐々に太陽の光に照らし出される情景描写。
それがまた神がかっている曲なんですよね、、、
マキハラ先生が活動停止中、さらに自粛中のことを「雨雲の中」にいたというような表現をされています。
そこからどのように立ち上がり、自身の気持ちがどのように変化していったか、、、
その心情や心の葛藤などを、雨雲→太陽の光の下をまた歩く までを、
天才的な表現力で歌い上げているのが、神曲「太陽」なわけなんですよ。 マニアの皆様の中でも、先ほども書いた通り
この「太陽」は切っても切れない(むしろ切りたくないが●)存在の1曲なはずです。
もう雨は止んで、しかも太陽に照らされて光っている
と言うほどまでに心の変化が表現されているんですよ。
こんなん泣くしかねーだろっていつも聴くたびに思うことと。
そんな2曲を同じライブで歌ってくれるなんて…
「宜候」が特に爽やかで眩しすぎるアレンジに仕上がっているから特にそう感じます。
そして2022年の宜候ツアーに関してはコロナ禍真っ最中ということで、
やんごとなき事情で参加できずに涙を飲んだマニア様も多数いたはずなんですよね。
私は地元の公演は行けましたが、県外公演は禁止令が出されていた時期でもあったので泣く泣く 諦めました。
あの時の想いってやつがそれまで宙ぶらりんのような状態だったかと思うのですが、
今回何だか報われたような気持ちにもなりました。
あの当時は、私相当やさぐれていたので…(2022年頃の記事はひどいもんです●)
そしてあの時のツアーでは声出しが禁止でしたが、、、
今回は大きな声で「よーそろー」と声を出すことができました。涙
C&Rとは少し異なる感覚の「よーそろー」の大合唱は圧巻でしたし、
腕の光るやつ(そろっと正式名称で呼んでやってくれ●)もファンの人たちの動きでまるで波のようだった。
⑦まだまだ宝箱の中身は終わらないアンコール編
そんな感動の本編が終了し、アンコールにてマキハラ先生再登場。
今回は4公演ともにお着換えなしでしたね、デザイナーの窪さんへのリスペクトもあってのことだと思いますが。
何より最初から最後までしっかりと「槇原敬之」をお届けするぞという気概を感じました。
そしてこのアンコールではまたまた初めての出来事が起こります。
アンコール2曲目「世界に一つだけの花」の際、大サビ部分で天井から何かヒラヒラと降ってきました。
ちなみに、初日の大阪では私はスタンド席でしたもので、
天井から何か降ってるな?くらいの感覚でした。
2015年セレブレの際に銀テープが飛びましたね?その銀テにはマキハラ先生の手書きのメッセージの印刷が…
今回もそのような演出があるのでは?なんて思っておりましたが、
スタンド席なものでハナからもし銀テが飛んでもいただくことはできないだろうなぁ、なんて思っておりました。
そしたらそしたら、銀テではなさそうだな???苦笑
最初は紙吹雪かな?と思っておりましたが、ハート型と星型の薄い発砲スチロール(言い方な●)
そこには、マキハラ先生直筆のメッセージが印刷されておりました。
「35年間、共に歩んで下さって本当にありがとうございます!
これからも 僕の音楽が みなさんの側にありますように 槇原敬之(似顔絵付)」
・・・。
泣くがぁぁぁぁぁぁぁ(嗚咽)
こんなこと言ってくれるなんて、泣くしかないだろぉぉぉぉぉぉぉ
まずね「共に歩んで下さって」、、、
「聴いてくれて」ではないのよなぁ!!
これはさ、つまり自分の歌が聴いてもらえているだけではなく、
聴いた人それぞれの人生の中に自分の作った歌があって、人生と重なっている…と理解されている上での言葉ですよね?
もうさ、理屈じゃないんよなマキハラ先生の歌は我々マニアにとっては「人生そのもの」なんだよな!!
だからさ、「聴いてくれて」ではなく「共に歩んで下さって」になっているところが、
我々の推し、、、最高すぎるんだが
そして、これからも自分の音楽が我々ファンの「側に」ありますように、ってさ(涙)
くろーすとゅーゆーじゃないかよ!!
え?もしやの我々マニアとマキハラ先生は、、、
両想いなんだな?(異論は認めぬ●)
大坂2日目では”バカップル発言”も出たと聞いております、まさしくそれですな!!
この槇原敬之の想いをさ、
我々は受け取ってこれからも生きていけるんだよなぁぁぁぁぁ(涙)
だからさ、その想い(目に見えないそして形のないもの)一つあればね、、、いいはずなんだよな。
私は、今回この空から降ってきた発泡スチロールは結局手元に降ってこなかったんです。
(ただ終演後に心優しいマキ友様(はるそら様ありがとう)からいただきました)
今回、2つの会場共に1万人以上の集客だったのではないかと思います(キャパ的に)
全ての人にあの発泡スチロール(だから言い方よ●)が生き渡るわけではないとは思います。
もう「運」しかない、それしかないのです。
でも例え自分のところに降ってこなかったとしてもさ、1曲目の「僕が一番欲しかったもの」に繋がる部分が。
「幸せの価値観」
は、ひとそれぞれ異なるし、
四つ葉のクローバーでも、目に見えるモノが全てではないと歌っております。
私は、この書かれてある「槇原敬之さんの想い」に最大限の価値があると思っております。
そうそう、キレイごとに聞こえる人もいるかと思います、でもマキハラ先生がずっと伝えてきてくれたことってそれですよね?
一つ悲しかったのは、空から舞い降りてくるその目に見える宝物に夢中になって、
当の本人様を観ていなかった人もいるんじゃないかな?ってことですよね。
ちょうど「世界に一つだけの花」の大サビの部分だったために、
最後の最後のサムズアップしたマキハラ先生の満面の笑顔を拝めた人はどれだけおりますかね?二ヒヒ
あの時の笑顔は、あの瞬間だけのものであり、私はそれを観たかったので凝視しました(もちろんオペラグラスでな●)
いやでもさ。
せっかく自分のところに降ってくるんならさ、そりゃ「欲しい」よなぁ…
私も欲しいけどさ、、、まぁ妬み嫉みで生きている人間なものでね●苦笑
でもキレイごとなんかではなく、私は本心でそう思ってはいるのです、、、ありがとうございます。
そしてアンコールラストの「君は僕の宝物」、、、
この曲のイントロ始めの時のマキハラ先生の表情が好きすぎるんよ、宜候ツアーの時もそうだった
今回のアリーナツアー「TREASUarena」まさに「宝物」、そして我々ファンが宝物であると
マキハラ先生からのメッセージ、、、うぅっ、泣ける。
アンコールラストに「君は僕の宝物」なんてさ、
完璧な選曲すぎてさ…
もう思い残すことは何もない状態まできますよね。
⑧会場中が尊きその姿に涙したダブルアンコール神曲であり原点曲「ANSWER」
アンコールも終わり、舞台前方に演者さんたちが集まり、
最後にみんあで「どうもありがとうございましたー!」の声、、、
そこから順々に皆さん舞台袖へ、、、
そこに、、、キーボードが運ばれてきました(驚)
会場中は悲鳴。
そうです、ダブルアンコール、、、
今回のTREASUarenaに関しては、4公演ともに全く同様のセットリスト。
そしてこのダブルアンコールも最初から組み込まれていたようです。
粋すぎないか???
初日大阪では、私も断末魔の叫び声をあげておりました(迷惑行為●)
17歳の若き日のマキハラ少年が
お昼15時頃この曲を作り終え「あぁ、自分はこれからこういう歌を作っていくんだなぁ」と
しみじみと感じたというこれまでも何回も聞いてきたエモエモエピソード。
私はこれまでにも再三書いてきましたが、この話が三度の飯よりも大好物なんです。
35周年を締めくくるコンサートの最後の最後、
自身の原点曲、それは槇原敬之の祖であり神曲であり、神聖な1曲「ANSWER」
嗚咽どころの騒ぎではないですよね?
皆さん、正気でしたか?私は無理だったよ、ホントマジで勘弁してくれや槇原敬之め、って思ったよ。
もうその歌う姿が尊すぎて、、、
ワタクシゴトですが、私が初めて槇原敬之を認知したのが1991年の紅白歌合戦でした。
そうなんです、キーボードをひたむきに弾きながら歌うその姿に心を持ってかれたまま今に至ります。
私のココロ、いつになったら帰ってくるんだ?って待ってるんですけどね…
きっと一生戻ってこないでしょうね、困りましたねどうしてくれるおつもりか槇原敬之め。
なので、その姿を重なり、それにも泣けたのよ。
私が好きになった槇原敬之が30数年経った今ここにいてくれてるーーー(涙)の気持ち
色々あったけどさ、またファンの前で歌う決意をして歌ってくれている事実、それだけで尊いのや。
最後のこの曲では、聴き入るというよりは
ひたすら拝んでいた…
という表現が一番近いような気がするな、うん。
自分の30数年の槇原敬之人生が走馬灯のように流れていく感じ。
あの感覚をどう表現したらいいのか分かりませんが、とにかく彼は神でした。
⑨とにかくセットリストが神でした本当にありがとうございます
そして最終日横浜では「また会いましょうね」と爽やかに舞台袖へはけていくマキハラ先生、、、
35周年イヤーでの3本のツアー、全てのセットリストを考えた大明神毛利様ですが、
槇原敬之よりも槇原敬之を理解しているというか、一番のファン目線で考えてくれているのが伝わる選曲。
マキハラボの時も「・・・毛利さん、神やな」って思ったし、
STLの時も「・・・毛利さん、神過すぎやな」って思ったし、
今回のTREASUarenaも「・・・やっぱり毛利さん、神やな」って結論。
そして先ほども書きましたが、今回のTREASUarenaのセットリストありきでのこの1年だった、、、と。
どこを切り取っても槇原敬之の歴史が垣間見れる選曲、そしてこの35年という長きに渡る期間の重さ。
若かりし日の槇原敬之氏から、なんやかんやと色々とあって、それを経ての今現在の槇原敬之氏。
全てを網羅しているセットリスト、
そしていつの時代もその時代を彩るような曲作りをされる槇原敬之氏がただただ神なんよ、本当にさ。
【35周年を真剣に考えてみる】
セットリストのくだりが終わりました、、、怖い中間報告です。
ここまでですでに2万文字を超えておるようです、、、タイヘンダ●
前後編にしてもいいのですが、一気に読めた方がいいのかな?なんて思っていたり。
もしかしてこのブログに不幸にも本日初めて訪れた人々はすでに途中リタイヤしているかもしれませぬ。
なので、ここまで読んでいるアナタ!そうです!アナタ様ですよ、勇者です!!
ありがとございます、まだ少し続くのですがそのまま突き進んでいただければ嬉しいでございます。
さぁ!後半戦もいきますよ!!(イヤな予感しかないお知らせでした●)
この項目では真面目なことを書きます。。。(いつも最高に真面目に書いているのですがね●)
2020年より世界中がコロナ禍で震えていた時期。
そんな中舞い込んできた「槇原敬之氏逮捕」の文字。
世間では、2度目ということもあり冷ややかな反応でもあったかと思います。
未だに私の周囲では「槇原敬之のライブに行ってきます!」なんて言うと、
まだ活動してるの?釈放されたのか?などなどの声があるのは、もう慣れました。
私は普段、マキ友さんと話をしたりメールなどでやり取りをしたり等していると、
一瞬ですがその世間のイメージを忘れてしまうことがあります。
それがいいのか悪いのかは置いておきますが、マキ沼界隈にいることで感覚がズレてしまうこともあるんです。
世間一般の声は特に気にしなくてもよいと思うし、自分の思う心で進んでいけばいいとも思っています。
ただ、やはりその温度差っていうのは、縮まらなかったりするのかな?などと悲しくなることもあります。
そんな中での、2021年の復活アルバム発売の一報、、そして翌年2022年のツアーの情報解禁。
まだまだ世間はコロナ禍の余波が残る中での「宜候」ツアーの開幕となりました。
声出しも禁止、そして私は県外移動が禁止だったため、不完全燃焼のような1年でした。
あの時の気持ちを今でも思い出すと心がキュッてなるんです。
そんな2022年の後半、、、
今回大阪2日目のMCにて
「2022年の秋には「大阪城ホール取れました」とイベンターさんから連絡を受けた」
「そこから水面下で今回の35周年について色々と準備してきた」
と、話されていたそうです。
大阪城ホールがその頃に決まっていたということは、もちろんKアリーナも同時期なはずです。
横浜のKアリーナは開業が2023年9月なんですよね。
なので、2022年秋にはまだ完成していなかった、ということなんですよね。
もちろん、色々なアーティストが打診していただろうとも想像できますよね。
まだまだ世間はコロナ禍の余波がる時期。
2020年に2度目のディープインパクト●を起こしたアーティスト。
「宜候」にて復活したが、まだまだ先行き不透明かつ、不安定だった頃です。
そんな中で、万単位の集客が必要な会場を
槇原敬之の底力のようなものを信じて打診していただいたイベンターさんがいたということ。
Kアリーナに至ってはまだ開業もしておらずの手探りの中での11月の土日を押さえたという事実。
もうさ、、、
その事実だけでマキハラマニアは泣いてしまうんよ(嗚咽)
槇原敬之さん本人の力ももちろんのこと。
今回の35周年イヤーに向けて縁の下で支えてくれていたたくさんの人たちの力あってこその今回のツアー。
本当に本当にありがとうございます、とお伝えしたい。
こんな日本の片田舎の一マニアの声なんぞ届かないかもしれませんが、
これだけは言えるぞ、たぶんこの想いはマキハラマニアの総意だと!!
そんな中、我々マニアも槇原敬之を信じ続けたからこその今があるのですよね。
槇原敬之さんにも35周年おめでとう。
そして我々槇原敬之ファンに対しても「おめでとうございます」とお互いを褒めたたえたい気持ちでいっぱいですよ。
おめぇ?一体何言ってんだ?
と、思われても仕方がないとは思いますが、
TREASUarena終わってからずっとこんなことばっかり考えているんですよね。
2020年2月のあの日のことを思い出すこともあります、1999年8月のあの日のことを思い出すこともあります。
こんな未来が待っているなんてね
本当にこれに尽きるのです。
それもこれもマキハラ先生が、また我々ファンの前で歌う決断をしてくれたからこそなのですよね。
今回、腕の光るヤツの演出がありました。
あの広い会場を埋め尽くす光の景色、、、先ほども書きましたがあの時の感動を私は忘れないでいようと思います。
大きな声では言えないのですが今回のアリツアに関しては「スタンド席」が正解だったな、と自分的には思います。
ただ、どんな場所でもあのお祝いの場に立てた、という事実が嬉しいのです。
そして今回のアリツアに何らかの事情で参加できなかったファンの方もいるかと思います。
行く予定でも、急遽行けなくなったファンの方もいるかと思います。
そのお気持ち、めちゃくちゃ分かります、分かっているよと言われてもどうしようもできない気持ちがあるのも分かります。
そんな簡単に言うんじゃねーよ、というのも分かります。
でも、槇原敬之さんは「また会いましょうね」って言ってくれましたので、また会える日を楽しみに踏ん張れるわけです。
「共に歩んでくれた」ファンをマキハラ先生は忘れてはいないと思います。
MCでは再三にわたり「この場所に立てているのは紛れもなくこれまで応援してくれた皆さんのおかげ」と話されていましたよね。
35周年という一つの区切りができました、
これからは新生槇原敬之になっちゃうんじゃない?
恐ろしいな…?(震)
これ以上進化するんか槇原敬之め、勘弁してくれ。
もうこれ以上我々の情緒を惑わさないでおくれと思うけどもっとやってくれ、とも思う(どっちだ●)
【35周年の槇原敬之氏についての色々なご報告です】
お待たせいたしました(?!)
本日はここまで真面目1本できましたので、少々もぞもぞしております(?)
ここからはHENTAIタイムに突入です。
ということで、ここまで読んで下さっている勇者の皆様、本番です!苦笑
ここからは、たんぽぽ毛的視点で、今回のTREASUarenaTOURにおける槇原敬之氏についてご報告いたします。
①常に最高を更新してくる56歳のイケオジに腰砕けになる
最初の3日間は、襟足眺めのマキハラ先生。
そして最終日はバッサリと散髪されておりました、ちなみに最終日は眼鏡も無しでした。
・・・。
なぜだ!?
なぜなんだ?!
なぜその姿をWOWOWさんで披露しないのだ??
ちなみに、今回WOWOWさんの撮影が入ったのは11月8日の横浜初日でした。
バッサリと散髪したのは11月9日だったので、、、
ワタクシたんぽぽ毛の個人的性癖、、もとい好みとしては「髪の毛短い推しが好き」なもので。
あの襟足長めのお姿がお好きなマニアの皆様には大変申し訳ないのですが…
なぜその短髪でWOWOWに挑まなかったのよぉ~!!(涙)
って心の声を漏らしてみます。
きっと同じようなマニア様もおりますよねぇ?
ただですよ、、、
槇原敬之なんてったってスタイルがよき!!
あしながおじさんのマキハラ先生ですので、
今回も窪さんデザインのスーツが非常によくお似合いで。
羽みたいなのいっぱい付けてる日やバラみたいなのいっぱい付けてる日があったり…
今回のテーマは「中世の世界をお願いします」と楽しんだそうで…
鬼リクエストすぎるがそれにしっかり答えたBEAMSの窪さんも天才すぎんか???
天才の周りには天才が集まるものなんだな?と実感した次第です。
最終日は先ほども書きましたが、眼鏡無しのりゆき氏でしたので、
恐らくKアリーナでは冒頭にてすでに機能不全を起こした人が何人かいたのでは?と想像されます。
ただ、最初から灰になってはもったいないため我々マニアはその試練に打ち勝ったのかもしれません、瀕死でしたが…
え?あんた一体何言ってんの?
って、思われた方おりますかね?
ちなみに、こちらがこのブログの通常営業ですゆえご了承くださいませ●(悪びれもなくな)
②いつもの如く「喉からCD音源」に度肝抜かれる
初日の大阪に関しては、マキハラ先生の声は調子良かったみたいなんですが、
機材?の関係なのか何なのか、マイクの音が途中途切れてしまうことがあって歌っている最中で
「プツプツ」音が何度かしたことがありました、ちょっとそれは残念だったのですが、
それ以降はそのようなことはなかったようなので安心です。
いや、相変わらず 歌うまいんよな…
喉からCD音源、
特に最終日の11月9日の声は本当に最高だった…マジでCDなんか?って思ったことか。
アレンジ効かせながら聴かせてくれるところもあり、また丁寧な想いを込めて歌ってくれる場面もあり。
今回のアリツアに関しては「総じてとてもとても丁寧に言葉を紡いでおりました」以上です!!
③槇原敬之氏の観察方法について
今回は、、、いや、今回もオペラグラス持参で挑みました。
初日大阪ではスタンド後方でしたため、オペラグラス必須でしたが今回は先にも書きました通り
我々には巨大スクリーンがあるのだ(フフフ)
そんな心強い味方が付いておりますゆえ、ワタクシは無敵艦隊でありますっ!!
ちなみに横浜では両日SS席でしたが、しっかりオペラグラスを使用しましたが…
まずは本人を見て、そしてスクリーンを見る的な、、、
なので、今回は忙しいですよね、いつものライブよりも2つ工程が増えるわけですからね。。。
本人様を裸眼で何かしらの力を注ぎながら凝視する
本人様をオペラグラス超しで観察する
本人様をスクリーン超しで毛穴近くまで見る
本人様をオペラグラスにてスクリーン超しで観察する
上記の4つの方法があったわけですよ。
いやはや忙しいったらないですよね、うん。
さすがに、オペラグラスでスクリーンを観た際には液晶のツブツブにしか見えんかった…
ただしかし!
そのツブツブ一つ一つが構成しそしてやがては巨大な槇原敬之を作っているわけですからね…
(ホントこいつ何言ってんのか?●呆)
そんな一つずつの粒々さえも愛おしい存在になるという不思議です。(頭いかれてんのか?ワタスは…爆)
④歌い出すと消える「髭」の研究についての経過報告
ワタクシたんぽぽ毛がこの3年ほど研究を続けているものでございます。
槇原敬之氏、普段はお髭もさもさ(言い方●)しているけど、
舞台に立って歌い出すとその髭が消える…
という現象が起こるわけです。
これは七不思議でも都市伝説でもありません真実です、信じるか信じないかはアナタ次第よね…
何かさ、別にふざけているわけではないのですよ、一時本当に不思議でね、
ずっと経過を追っていたんですけどね、、、何か今回最初はそんなうがった目で見ていた自分が情けなくなって。
何か私は「髭とかヒゲとかひげとかスジとか」いつも言ってるけど、
なんてちっぽけな人間なんだ?と…
もう35周年なんだからそんあことはどうでもいいじゃないか?
と、偉い人から怒られそうです(偉い人とは…?爆
いやそうなんですよ、槇原敬之がどんな姿であったとしても、我々には唯一無二の尊い存在、神なわけです。
でも、自分のブログでは「髭がとかスジが」とかなんやかんや言っている自分がいて大変矛盾人間なのです。
私の中では未だに畏れ多い存在。
簡単にリプなんぞできないし、イイネも押せない弱弱なワタス。
Xにて引用RPしたことはこれまで2回ほどありますが、心臓バクバクな自意識過剰女でございます。
そう、、、でもそれでいいのです。
私の中では永遠に「神様」みたいな存在、それでいいのだ。
以前の記事にも書きましたが、
”推しとの距離感を間違えてはいけないなぁ”って常に思いながら推し活しております(どの口が言うとるか?●)
私の中での唯一無二の存在、それだけで私はこれからも生きていけるのです。。。
でも、たまにはスジとか見せてくれると嬉しいのですが…(おい●)
⑤総じて槇原敬之が尊い
まとめます。
「総じて槇原敬之が尊い…」
ここまで色々と好き勝手書いてきましたが、それに尽きる。
35周年という一つの区切りがあって、
でもそれは「区切り」というものを付けただけで、
これから先もマキハラ先生は我々の側にいて歌を届け続けてくれるのだということ。
そんなありがたいことはないし、嬉しいことはない。。。
過去に2度ほど消えかけていたかもしれない光が今また灯されているという事実!!
これがどんなに奇跡的なことか、我々マニアは一番知っているはずなんですよね。
ありがとうございます、、、
もう感謝の言葉しか出てこないのよね、しつこいけどね。
今回、この感想文を書くにあたってもしかしたらまとまらないかもしれないと思っておりました。
もう締めの言葉に入りますが…
結局、支離滅裂な文章になっている感は否めない。
感想文なので、ライブレポなどを期待して最後まで読んでくださったマニア様もいたかもしれません。
まだまだ書きたいことは山ほどあったりしますので、少しずつ言語化していきたいなぁ、との思い。
そして、忘れてはいけない
”「Such a Lovely Place」問題”について…ざわざわ
これは早急に検証が必要な案件でありますっ!!先生!お願いしますっ!!(先生?)
私的には、この問題を解決しない限りは2026年は迎えられそうにありません。
はっ!!灰になっている場合じゃなかったわ、、、よし。
こんな長い文章(過去一かもしれん●)を最後まで読んで下さった尊き勇者様たち、、、
本当に本当にありがとうございました。
そして、30周年を色々ありまして飛ばしちゃったと話されていたマキハラ先生。
そんな想いがあってこそのこの35周年の一年だったかと思います。
当時は色々感じたことや、今でも昇華できない想いはあったりするけど、、、
そして世間の目はまだまだ厳しい現実かもしれませんが、
あの会場を埋め尽くす槇原敬之を愛してやまない光景を目の当たりにした今は
本当にこの1年間ありがとうございました、としか言えないのであります、そしてお疲れ様でした。
どうか、どうか…
長生きして
今後も幸多き日々に包まれますように、
心より願っております、一マニアより。。。
最大限の感謝の気持ちを込めて。