鬼は外 福は内。。。
節分ですね。
節分てこの2月3日が一番知名度高いですが、
日本には4つの四季がありますので、節分は実は4回あるんでしたよね?
季節を分けるという意味の節分ですゆえ…
立春/立夏/立秋/立冬の前日は全て節分、という概念らしいです。
数年前までは恵方槇(巻)も自宅で作っていましたが、
金で解決できるもんは金で(言い方●)、、、という思考になってきました。
美味しいですしね。
何気に太槇(巻)の中身って単体で購入すると結構高額になっちゃいますからね…
ということで、2月に入りまして明日からは暦の上では春だというのに、
私地方に関してはまだまだ油断できない冬将軍に怯える日々です。。。
今年の槇原敬之氏のツアーは「90年代の曲を中心に」と本人様が明言しているようです。
時間旅行の1stシーズンの際は、
一体どんなライブになるのだろう?と胸を躍らせていたものです。
このブログ内でも、「#2018年マッキーライブ予想」というタグがありますからね。
あの時は、
ツアー開始までにその当時の過去の21枚のアルバムを1枚ずつ振り返ろう!という企画でした。
結局このタグでの記事は11で終わっているため、11枚までしか…爆●
しかしながら結果的には、1stシーズンは割と初期からの選曲が多かったのでオーライだったのです。
そして今回は2ndシーズンです!!
マニアの皆様それぞれに、セットリストを作成しながら復習している人もいるみたいですよね。
自分で言うのも何なんですが、
私は90年代の槇原敬之氏に関してはほぼ完璧なので、復習はしておりませぬ。
人間の脳機能というものは、
過去の記憶ほど定着している、という現象が起こりますゆえ、、、
ただ、90年代って私にとってみれば中学~高校~浪人~大学時代なんです。
10代~20代前半の脳機能ですからね…
記憶デバイス キレキレですからね。もうそりゃしっかり定着しております。
イントロドンでも、歌詞見ないで歌えたら100万円でも何でも来い!です(ただし90年代…)
ということで、ツアー開始を首を長くして待っている今日この頃です。
そして私はそれまでにできるだけ「この曲を聴いてくれ」をコツコツ積み上げていく、という作業へ。
本日も素晴らしき槇原敬之氏の世界を愛でよう!ということで、
『THE END OF THE WORLD』
作詞作曲編曲:槇原敬之
1996年10月25日に発売された通算7枚目のアルバム「UNDERWEAR」に収録されています。
このアルバムからの選出の際は必ず書いている気がしますが、
槇原敬之の「UNDERWEAR」全曲シングルカットできるのでは?説
まさにこれ。
マキハラ先生のこれまで発売された作品、数多ある神作品たち。
マニアの皆様にはそれぞれの心の中に輝き続ける1枚があるかと思います。
それぞれのアルバムに紐づけられた思い出の数々。
思い出すだけでも胸を熱くするエピソードがあるはずだとは思いますが…
そんな中でも、このアルバム「UNDERWEAR」はマニアの皆様がBEST1に選ぶ人が
多いのではないか?とさえ思う初期の名盤!!
1996年と言えば、前半では全歌詞英語のアルバムも発売され、そして後半はこちら。
1995年の活動がほぼ無く(喉のポリープ手術のため)、
一時は引退も考えた、と後にマキハラ先生も語っております。
そこからの1996年の輝きよ…
今の状況を考えると「嘘だろ働きすぎやん」って思わず心配するほど。
ただ、当時マキハラ先生も27歳とかそんな時期ですからね…働き盛り。
そんな時期に発売されました「UNDERWEAR」、、、最高過ぎるのです。
つよつよの神曲が多すぎて、、、怒涛の神曲の連続に聴き手はどうにかなってしまいそうです。
そんなわけで、一連の「UNDERWEAR」をべた褒めしてからの…
本日は「THE END OF THE WORLD」です。
私としては、、、168曲目にして、
THE END OF THE WORLD
キタ―――――――――――――――――――っ!!
こんな心境です。
いや、完全に自分の匙加減なんですけどね●苦笑
このアルバム発売当時(1996年)のマキハラ先生が、
ラジオ(CLOSE TO YOU)にて
「衝撃の問題作」
と言い放った一曲でございます。
私はしっかりこの言葉覚えているので、妄想ではないはず。
マニアの皆様でも当時ラジオを聴きながら覚えている方は多数いらっしゃるでしょう…
私は1996年当時はまだファンクラブには入会していなかったため、
会報でのセルフライナーノーツ等では読めていないのですが、
のちに雑誌のインタビューなどでは同様に話されていますよね。
私はこの曲を初めて聴いたのが高校2年の秋。
マキハラ先生のこの言葉を聴いて初めて歌詞の意味を理解したような気がしました。
あー、そういうことね… と。
マキハラ先生は「不倫の曲なんです」と明言していますが、
実は「不倫」だけではなくて、その他の意味も十分に含んでいるとも捉えられます。
それは本当に聴く人の捉え方によるもので、自由だとは思います。
不貞行為、、、ですからねぇ。
それが世間一般的には許されるものではなく、あまり公にもできない。
そんなテーマで1曲書いちゃうなんて、、、当時26歳とかですよ?マッキー先生、、、あらら
「不倫」「不貞行為」
私はこれを決して肯定するつもりはないのですが(むしろ嫌悪感さえあるが●)、
世の中には色々な ”愛のカタチ” なるものがあって然るべき。
そして、この曲のストーリー性の高さといったらないです。。。
何かの小説を読んでいるかのように時間経過と共に歌詞が進んでいき、、、
曲の中に登場する「僕と君」(+彼女)の関係性。
1コーラスから2コーラスへかけての盛り上がり。
叙情的な歌詞に加え、歌の登場人物たちの想いが最高の形で描かれていて…
槇原敬之 天才っ!!
って、思わず天を仰ぐと共に、切なさで溺れそうになるのですよ。
その情事を表現する歌詞運びとか、
緊迫感のある情景描写や、排他的かつ刹那的な二人の脆い関係性とか…
もうそんなの諸々含めて、素晴らしいっ!の一言。
そこに何とも言えないメロディとギターのアレンジ等も合わせると…
マジで神曲っ!!
って、なるんですが。
冷静に考えますと、
この曲に登場する僕、、、クソなんです(言い方●)
いやでもさ、これってある意味スゴイことだと思うんですよね。
マキハラ先生自身も「問題作」と言いつつ、
「あんまり聴いちゃダメですよ」なんて冗談っぽく言ったり言わなかったり…
あまり推奨するべきではない、という設定だというのは世間一般的な意見。
でも、それでもどうにもならないような状況ってあるんだよね?って。
どちらかと言うと私はこの曲に対しては、「君」目線で聴いてしまう。
僕?
そんなものは知らん!!(●)
いや、僕にも色々と事情があるんだろう、とか。
必ずしもこのような状況に至ったのには二人にも責任がある、とか。
賛否両論ある神曲だとは思うんですが、
まずそんな色々な意見が出てしまうというところがスゴイなぁ、という点。
不貞行為
という世間ではあまり胸を張っていられないような状況の中でも、
そこには「愛のようなもの」が存在するという事実。
その物語というか関係性に、聴き手はグッと惹き込まれてしまうわけですよね。
まさに槇原敬之のなせる業、、、なんだと思うのです。
そういう2人を決して責めているわけではなく、
むしろこの曲聴いていると応援したくなる人もいるかと思います(私は違いますが●)
曲の中の二人を応援、というものではなくて。
世間の目とか道徳的な観点とか、そういうのを全部一旦横に置いて…
ある二人の愛の物語(仮)
という風に捉えることができたら、それはそれは本当にセツナイ1曲なんですよね…
これは一重にこの曲の歌詞を紡ぐ槇原敬之氏の物語を書くという才能の賜物では?
はい、ここまで書いておきながら、以下に歌詞を引用させていただきます。
「行いが悪かったかな」
ごめん冗談で行ったつもり
「気にしないよ」そういうと君は
わざと明るく笑って見せた
雨の中ずっと待たせたのを
謝った僕をかばうように
「独りぼっちより誰かを待つほうがよっぽどいいよ」って言った
足りない物持ち寄っただけの できそこないの恋は
あまりにも見栄えが悪くて きっと誰にも見守られない
いつも雨だね 僕らが会う日は
待ち合わせの場所まで 傘で隠すように
そのあと一本は畳んで 僕のをさして
ちょっと見たら普通の恋人同士
高いホテルの窓から見える
どこかの部屋の窓明かりが
一つ一つ消えてく度に
逃げ切れたような気分になる
これ以上暗くならないね
後一回引けば消えるスタンド
お互いをもっと見つめるのに丁度良い明るさも手に入れられない
世界の終わりみたいな顔をして キスをする僕ら
間に合わせの温もりじゃもう ダメになるのは分かっている
絶対誰にも
聞こえないように
息をひそめて君が
「好きだよ」って言った
一体どんな言葉を返せばいいか解らないまま抱きしめた
僕と彼女の幸せを君に分けたとしても
やっぱり幸せのかけらは ただの幸せのようなもの
いつも雨だね 僕らが会う日は
待ち合わせの場所まで 傘で隠すように
そのあと一本は畳んで 僕のをさして
ちょっと見たら普通の恋人同士
全歌詞引用させていただきました。。。
まずはさ…
不倫の歌とか、許されない恋の歌とか、色々言われてはいますが…
やっぱ 神曲だよな
なんですよねぇ、悔しいけども(クソ―!槇原敬之の才能どうにかしてくれよぉ…(涙 )
すごいよね?この小説みたいな歌詞の流れ。
特に2コーラス。
どの情事感が妙に伝わってきて、聴いてるこっちの心拍数上がるっての。
この曲に登場するのは3人。
主に「僕と君」の二人で物語は進んでいきます。
1コーラスでは、ただならぬ二人の雰囲気とか関係性等表現しており、
そして、、、
君が健気…(涙)
マジでさ、この曲聴いている我々は何度思ったことか
「こんな男、とっとと振ってしまいなさいな!」って…
【THE END OF THE WORLD の僕のクズさ ~その①~ 】
最初に言っておきますが、
私この曲、めっちゃ好きなんですよ(信じてくれ●)
でも、昔からこの曲に登場する「僕」に関しては嫌悪感しかないのです…
1コーラスAメロの歌い出し
「行いが悪かったかな」→ごめん冗談で言ったつもり
いやいやいや、冗談でも言っていいことと悪いことの区別つきませんか?
雨の中待たせている君に対して放った一言です。
「行いが悪かったかな」って…
初めてこの曲を聴く人にとっては、
雨が降ってきちゃって大変だなぁ、、、って思わされるかもしれません。
そりゃ私も初めて聴いた時はそう思ったと思います。
そんな中で、気にしないよと、さらに独りぼっちよりいいよと言う君。
なんて健気なんだ(涙)、そうかそうかそんな君だから僕も大切にしている、、、ん、だね…?
え? してないやん!!
って、徐々に曲が進んでいくと感じるんです。
この二人の関係性が徐々に明らかになっていくにつれ、
この歌い始めの「行いが悪かったかな」という発言。
マジ最低、、、
って、思うんですけどどうですか?私だけが怒っていますか?そうですか…
ただならぬ関係の二人という中で、
恐らくお互いが多少「よくないことをしている」という想いはあるんだと思います。
なので、この二人の関係性自体が「行いが悪い」ことなのに、
それをきっと君は感じているというか、後ろめたさもお互い感じているはず。
そんな中でのこの発言は、NGデス●(冗談でも失言だぞ)
君を想って、雨の中待たせたことを謝るにしては、
もう少し違う表現があるのではないか?といつも聴くたび思うのです。
そしてそんな僕をかばう君、、、(涙)
マキハラ先生の曲に登場する「僕」という人間像って、
最初は暗かったり絶望に打ちのめされたりと、
でも歌の中で徐々にそんな自分自身に気づき、自己を修正していくことが多いのですが、
そしてそんな僕に対して聴き手は「頑張れ」と思わず応援してしまうのですが…
たまーーーに、こうやってクズ男が登場しますよね?
何なんですかコレは。
マッキー先生の性癖なんですかね???(失言●)
【THE END OF THE WORLD の僕のクズさ ~その②~ 】
2コーラスサビ部分です。
私はこの部分、いつも聴きながら思う。
「おめぇも「好きだよ」って言ってやればいいんだよ」って…
この曲を聴いて、
登場人物である僕のことを「とても誠実だ」と感じる人もいるかと思います。
私はそうは思わないので、ちょっと悪態をついているんですが●(ホントすみません)
ただならぬ二人の関係。
世間から身を隠すように姿を潜める二人。
堂々とできない理由が必ずあって…
それを二人は理解しているからそのような行動になってしまうわけで。
ただ、それでも「好きになってしまったものは止められない」
という君を想う気持ちが少しでもあるのであれば、僕だって「好きだ」と言って欲しい。
君と自分の想いの温度差、とかそういうことに尻込みしている感じが伺えてしまって。
そんなことを思っていなくても嘘でも「好きだ」と言っていいのに、
そこで言わないのは誠実ですね、なんて思います???思いませんよね?
それだったら始めからこんな関係は無いはずなんですよ。
じゃ、僕は「どんな気持ちで君と会っているのか?」と考えをめぐらすと…
マジ最低だな
って思っちゃうんですよね。
どう転んだってそう思ってしまう(あくまで私は●)
そして、この2コーラスサビは本当にセツナイのです、
君と僕の想いの差がね…(涙)
高いホテルの部屋。
明かりも暗い。
二人以外の誰もいない。
そんな状況の中でも
絶対誰にも聞こえないように
息をひそめて君が「好きだよ」って言った
これなんですよ。
君には覚悟があるんですよ
そして僕にはその覚悟がないんですよね
どんな言葉を返せばいいか解らない、、、というのは
僕には 責任と覚悟がない
と、捉えられても文句は言えない●と思っています…
この歌詞から読み取れるところ。
だから僕はズルいなぁ、って思うんです…
【THE END OF THE WORLD の僕のクズさ ~その③~ 】
Cメロです。
この僕の最大級のクズさ加減爆発しています。
僕と彼女の幸せを
君に分けたとしても
やっぱり幸せのかけらは
ただの幸せのようなもの
もうさ、槇原敬之のCメロは天下一品級なんだよ!!
この曲のCメロも言わずもがな、最高なんですっ!!
そう、、、最高で最強でクズなんですっ!!(主に僕が…●爆)
ここまで曲が進んできて、この二人について思いを巡らすわけです。。。
許されない恋をしている二人。
でも何だか君と僕の想いには温度差がありそうだね?
そしてこのCメロで少し謎が解けるのです。。。
僕と彼女、、、
最初に、この曲に登場するのは3人だと書きました。
僕と君、、、そしてもう一人「彼女」の存在。
このCメロでやっと登場です。
もし、ここで「彼女」という3人目の人物がいなかったとしたら…?
同アルバムに収録されている「PENGUIN」のような設定に似ているなどと思うのです。
この「PENGUIN」に関しては、
かつては愛し合った二人のことを今は懐かしんでいる僕の曲です。
ただ、どうしても一緒になれない理由があったんです…
誰にも許してもらえない恋だった、駆け落ちまで考えたけど結局別れてしまった二人。
この曲には「僕の覚悟」のようなものが感じられると思うのです。
なので、この「THE END OF THE WORLD」に関しても、
僕と君だけであれば、少し似たような1曲になっていたのかな?なんて感じることもあるんです。
ただ、、、この3人目「彼女」の登場で、様相は変わるわけです。
僕と彼女 というのは、僕のパートナー、、、?妻?…彼女?
恐らく「妻」の存在なのだと思うのです。
そして
僕と彼女の幸せ
って、言ってるんですよ。
そう、、、「僕は幸せ」なんですよ?
彼女といることで幸せを得ているんですよね。
それを「君」に分ける…???ですって…???
はぁ?(怒)
めっちゃ上から目線じゃないですか?
ちょっと待ってくれ、お前は一体何様なんだ?と言いたい…
(いや…私こそ「おめぇこそ何様なんだ?」とファンの皆様から岩投げられそう…●)
その僕と彼女の幸せを君に分けたとしても→「幸せのようなもの」
えーーーーーーー、
最低すぎる、
クズすぎんか?(本日3回目●)
それは「本当の幸せではない」ってことですよね?
いや待ってください。
ちょっと僕にも救済措置を…
僕と彼女の間には、
そもそも幸せはすでに消滅してしまってる
→そんな「幸せのかけら」を君に分けたとしてもそれは「幸せのようなものだ」
……。
いやいやいや、無理があるな、やっぱり●
すでに「僕と彼女」の間には幸せがないのではないか?説も捨てきれませんが、
この曲を最初からずっと聴いていると、やはりクズ男認定されてしまうのではないか?とさえ思います。
ということで、想いだけで突っ走ってきましたが、、、
この曲好きだと仰るマニア様は多数だと思います、本当に本当にごめんなさい。
最初にも書きましたが、私もこの曲大好きなんですよ(信じてくれ●)
歌詞構成や、メロディ、アレンジ、、、
神がかったストーリー性の神曲!
素晴らしいのですが、ただ登場する「僕」がクズ男だった、というだけ。
そのクズさ加減に、君は早く気付いてもらいたいのですが、
いかんせん「恋は盲目」というものが存在しますゆえ…難しいのかもしれません。
ちょっとここまでは、僕のクズさ加減に焦点を当てておりましたが、
それだけでは「あなたはアンチですか?」と思われてしまうかもしれないため軌道修正します(今さら●)
【槇原敬之の天才みが分かってしまう、むしろダダ漏れの歌詞 ~その①~ 】
1コーラスBメロです。
足りない物持ち寄っただけの
できそこないの恋は
あまりにも見栄えが悪くて
きっと誰にも見守られない
僕と君の二人の関係性。
世間的にも許されない、
もしかしたら後ろ指を刺されてしまうようなそんな脆くて儚い関係性。
それを「できそこないの恋」→見栄えが悪いから誰にも見守られない
この流れ、、、
いやホント、なに?何なの?槇原敬之、、、叩きのめされるわホント。
直接的な表現ではなく、こんな例え方できます?できないよな?神か???
【槇原敬之の天才みが分かってしまう、むしろダダ漏れの歌詞 ~その②~ 】
1コーラス、大サビ部分
ちょっと見たら 普通の恋人同士
これ…
この表現!!すごくない?!
僕と君、一見普通に並んで歩くこともできるんですよね。
街行く人々、この二人を知らない人からみたら「二人は普通の恋人同士」なんですよね。
でも、実はその関係性が歪んだものだなんて見た目だけでは解らない。
目に見えるものから分かることって本当に少しのことであるという意味も含んでいて。
でも、見た目さえ取り繕うことで世間には溶け込むこともできるという意味も含んでいて。
非常に非常に秀逸な表現に、唸り声しか出ないんよ…ゔうぅぅぅぅぅぅぅぅうぅぅ(唸ってみた●)
【槇原敬之の天才みが分かってしまう、むしろダダ漏れの歌詞 ~その③~ 】
2コーラスAメロ部分。
高いホテルの窓から見える
どこかの部屋の窓明かりが
一つ一つ消えてく度に
逃げ切れたような気分になる
僕と君、待ち合わせそこから一本の傘でお互いの身を隠すように、
そして世間の目から逃れるように、高いホテルへ…
この場末感は微塵もないような、シティホテル感ね。
逃れるように高い所まで登ってきた二人。
それでもまだ安心できていない、というような想いが伺えますよね。
そして、そこから見える街の明かりが一つ一つ消えていくことで、
安心感を得る、というところが「背徳感」というか…
そのような気持ちの上でこの関係性は成り立っているのか?という脆さ。
「逃げ切れたような気分」
まさに、自分たちは誰かに追われているような…
実際に追われているわけではないと思いますが、
後ろめたさや、排他的な感情というか、そういう諸々の感情がこの部分から読み取れてさ…
いやホント、、、何やってんだよ、って思ってしまう(涙)
そこからの、
お互いをもっと見つめるのに丁度良い
明るさも手に入れられない
ですよ?
太陽の光の下を胸を張って歩けない二人、
お互いの顔をしっかりハッキリ見つめられるだけの明かりの中では
一緒にいることができない、、、っていう切なさ。
言い換えれば、もっとお互いのことを分かり合いたいけど、
それは許されない二人、、、これ以上は踏み込んではいけないという表現も含んでいるのかな?
なんて、思ってしまうわけです。
それが「僕と君」に与えられた罰(?)のようなものであって、
誰かの不幸の名の元に成立しているような関係なのか、
それともお互いの欲望の赴くまま、のような関係性なのか…
ただ君の諸々の発言などを考えると、君には覚悟があるが僕はどうだろう?って。
先ほども書きましたが、やっぱりそう思ってしまうのですよね。
ていうかぁ、、、
ホント何なの槇原敬之っ!!(怒)
26歳だよ?
この時期、こんな経験していたのだろうか…
「不倫」という関係性の歌であるとは明言してはいますが、
聴く人によっては、色々な解釈もできるますしね…
実はもっともっと奥深いような想いが裏には隠されている可能性もありますよね。
再三書いてきましたが、
私は2コーラスサビの君の覚悟と想いが溢れ出して止まらない部分の歌詞が本当に好きです。
それに比べて僕は、、、ってやっぱり私は「君」目線になってしまう。
何も僕だけを責めているわけでもなく、二人のことだからどちらが悪い、とかではないにしてもね●
マキハラ先生は「これはあんまり聴いちゃダメね」って言っていたこともあったかと思います。
過去に、日替わり曲で何度か歌っているみたいですが、
私はまだ生で聴いたことはないのですが…どうだろうね?2ndシーズンでは…
例え許されない関係でも、
二人の間に流れる物語とか世界観に関しては、
その表現力等はやはりピカイチな槇原敬之氏の才能ダダ漏れの1曲。
ここまで散々ボロクソに僕を罵ってきたわけですが、
私はこの曲、名曲の名と同時に槇原敬之氏の新たな一面を見た神曲と思っております。
この曲のことを私よりずっとずっと愛しているマニアの皆様にとっては
イライラする記事だったかもしれませんが、私もこの曲は大好きですので…
賛否両論の神曲、、、ぜひとも!!聴いてくれっ!!